今日は親爺の3回忌である。 3回忌と言ってもなくなってからまだ2年しか経っていない。 翌年が1周忌、翌々年が3回忌になる。2年しか経っていないのになぜ3回忌、なんか数え年と満年齢の違いのような感じがする。
ここで、年忌について、ネットで調べると以下の通りである。 年忌 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動: ナビゲーション, 検索 年忌(ねんき)とは、日本の仏教において、亡くなった親族に対して、繰り返して行われる法要、追善供養のことを言う。
[編集] 概要 発祥地であるインドの仏教においては、故人の命日より数え、7日毎の、初七日(しょなのか)、二七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、五七日(いつなのか)、六七日(むなのか)、七七日(なななのか)の7回を忌日とし、法要を行っていた。
なかでも七七日は、四十九日(しじゅうくにち)、あるいは満中陰(まんちゅういん)とも呼び、とりわけ重要視していた。それは、インドにおいては、輪廻の思想により、人の没後49日目に、次に六道中のどの世界に生まれ変わるかが決まる、と考えられていたからである。また、その、元の生と次の生との中間的な存在である、49日間の状態を中有または中陰と呼んでいた。よって、現在の日本においても、一般的には、四十九日までを忌中としている。
さらに、何年かに一度行う法要が、年忌法要である。没年の翌年に行う一周忌、翌々年の三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌と行うのが一般的であるが、宗派によって異なるものもある。また、五十回忌、百回忌を行う場合もある。
四十九日までの法要の後、命日から百日目に百か日の法要が行われるが、この百か日と一周忌、三回忌の三種の法要は、中国の儒教の祭祀の影響によって付加されたものである。これは、亡者が百か日を含めた8つの忌日と、一周忌、三回忌の2つの年忌の、合計10度の時点で、冥界の十人の王に審判を受けるという「十王信仰」に基づいている。この、十王信仰は、仏教が伝来した後に、中国で生まれた信仰であり、道教とも共有しているものである。その審判の時に、遺族による追善供養による功徳で、亡者の審判に資することを期すのが、忌日と年忌の法要の持つ意味あいである。
また、その後の七回忌以降の法要は、日本で独自に付加されたものである。日本では11世紀以降に、十王信仰が広まった。さらにその後、鎌倉時代に、七回忌、十三回忌、三十三回忌が行われるようになったが、これは、「十三仏信仰」に基づいている。これは、十王信仰の各王を垂迹と見て、それぞれの王に本地となる仏菩薩を擬定し、それぞれの法要の時には、その仏菩薩を本尊として法要を行うというものである。
三十三回忌、或いは五十回忌を最後の年忌にするのが一般的であり、それを弔い上げ、あるいは、問切りと呼んでおり、その時に、寺への寄進や永代供養を行う場合が多い。
33回忌とか50回忌というと、余程早死にの場合を除き、子が親の分を営むことは出来ないであろう。
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